第10回:ワークショップ班活動

こんにちは!初登場です。小学生フェイスとサイズのみのりんです。
自分でみのりんっていうとかかなりきもいけど、このクラスでの通称なのでお許し下さい笑(*実物はみのりんという呼び名とはかけ離れた人間です(^∇^))

さてさて本題に入りますと…
今回私が報告するのはワークショップ班の活動です!!
ワークショップ班は2つあるのですが私の班は私、さき、のぐえり、芸りんさんの4人で活動しています。(*今回のぐえりは体調不良のためお休み(/ _ ; ))

前回、テーマ•手段が決まったので今回はグループ全体の発表案を決めました。
具体的には、各自で今回の授業までに発表の個人案を作ってきたので、その内容を皆でシェアそしてグループ案にまとめるという作業をしました。
前半はもう一つのワークショップ班から、同じテーマをやりたいがやることが決まってないので一緒にやれる内容かどうか判断するために話し合いに参加させて欲しい!との打診を受けてもう一つの班と一緒に活動していました。(*結局別で活動することになりました)

それぞれの案は同じテーマ、手段で作っているのにどこかしら違うところがあって、2人の案を聞いてそんな考え方があったのかと関心しっぱなしでした。また聞いている時に大事だと思ったのが”わかったふりをしないこと!!”です。少しでも疑問に思ったことはちゃんと質問しないと話の流れがわからず、結局全体が理解できなくなってしまうからです。なので内心鬱陶しい奴だなと思いつつわからないところはその度に質問しました。そして質問してみて発見したことは、質問したことを理解できた後はその人との心の距離が縮まったということです。いちいち質問することは、気をつけなければ相手の説明や意見を否定しているように聞こえてしまいます。私達の班で質問が多く、時にはその過程で相手の意見を否定したのにも関わらず、誰も不快な気分にならなかったのは、皆相手を尊重して話していたからだと思います。また適切な質問をするというのは相手の話をきちんと聞いていたという証拠でもあります。話を聞いていない人はわけのわからない質問をするか、相手の話を聞き流すしかできません。適切な質問をし、答えるという過程で私達は目の前の相手に対して誤魔化さず真剣に向き合っていたのです。それゆえ相手がその問いに一生懸命答えてくれ理解し合えた後は、お互いに相手のことを自分に対して向き合ってくれる人だと認識し、信頼感が生まれて心の距離が縮まったと感じました。
思えば、私は普段どうでもいいこと、あまり親しくない相手に対しては、質問することが面倒でまた聞きづらくて、会話の中で疑問に思ったことがあっても適当に受け流してしまったことが多くありました。ただ今回の経験を通して、質問することで相手との信頼関係が築けるなら面倒臭さや気まずさに目をつむり親しくない相手にもちゃんと質問していきたい、向きあっていきたい思いました。

前述の通り不明な点についていちいち確認していたので予定より時間はかかりましたが、授業の終了直前にグループ案が完成しました。個人案を考えた時には無理かなと思っていたことがグループ皆で話しあっている内に解決策が出て、3人寄れば文殊の知恵ということわざを体感できました。そのおかげで妥協ゼロの良いグループ案が出来たと思います。来週は実際に案を皆でやってみたり、クラスの皆にどのようにワークショップをわかりやすく伝えるか等についてやります。来週も今週と同様充実したグループワークができれば!と思います。

拙い文章、最後までお読み頂きありがとうございました(^^)

第9回:グループ分け!

Guten tag! DENです!

6/16日の授業では今後の活動に合わせてグループ分けを行いました。
今後の活動:

  • ワークショップ斑
  • OriHime班(OriHimeに関してはこちら
  • インプロ班

人数に多少の制限がありましたが、各々が自分の望むグループに入りました。
これからの授業は新しいことに挑戦して発達していきながら、アウトプットをまとめていきます。

ちなみにDENはインプロ班所属です。意気込みとしては、アウトプットの前にグループメンバーが楽しめるような活動をしていきたいかな!

藤原さんへのインタビューまとめ、締め切りを迎えました。今後、どこかのタイミングでまとめを発表します。

以上!

発言力を身につけたい!

どうも!記事を書くのは久しぶり、未喜です。

6月2日に行ったワールドカフェでホストになりまして、私のグループで話し合ったことについて書きたいと思います。大変遅れました。

 

議題 ◎ 発言力を身につけたい!

 

岸先生率いるこの実践科目の授業ではとにかく発言することが大事。というか発言しないと授業が進まない。自分の意見は持って、発信して、なんぼ!

でもそれって、多くの人にとっては難しいこと。この授業でもどんどん意見を出す人は限られてしまっている。そんな状況を少しでも変えたいね、という意見から生まれたこの議題。この議題に食いついた私のグループの人は大体、自分の発言力に自信のない人だったと思います。

 

まず話に上がるのは「どうして発言できないのか?」

  • 自分の意見を上げる前に意見を聞くと納得してしまう
  • 周囲の顔色を窺ってしまう。場がしらけたらいやだ
  • 知識力、語彙力の不足。経験値がない

 

じゃあこれらの問題を「どうやって解決していく?」

  • 自分の意見を上げる前に意見を聞くと納得してしまう。

→発言をする人の意見が絶対的なわけではなくて、発言をしている人だってみんなの意見を聞きたい。議論を促すために発言をするときだってある。だから、自分の意見の正当性を頭でごちゃごちゃ考える前にとにかく話始めてしまえば良し!

自分が話せないときは周りのひとに振ってみるのもアリ。みんな振れば話せるから。「○○はどう思う?」むちゃぶりを推奨していこう!

 

  • 周囲の顔色を窺ってしまう。場がしらけたらいやだ

周りのことを気にするのは、自分に自信がないから。自分のことを好きになっていければ、意見を言いやすくなる。周りのことなんて関係ない、そんな姿勢も大切。もちろん場数をふむことも自信を持つ近道。

それと、「●知識力、語彙力の不足。経験値がない」にも通じてくることだけど、自分のことを好きになるひとつの方法として、好きなものに対する知識や経験を増やしていくというのも効果的なのでは、という意見も出ました。

場に慣れて、自分の中の意見を言うハードルをどんどん低くしていこう!

 

 

述べてきたことはもちろん一朝一夕でできることではありません。でも、意識していくだけで、ひとつ実践できるだけで、何か変わるかもしれない、と思います。

 

最終的にこの授業に関してだけでいうと、小さなスローガンができました。

「発言力を持つ諸先輩たちを黙らせていこう!」

 

 

文責・景山未喜

第7回 楽しすぎる振り返りーインプロとmini playを通してー

「やったことがないことを、私たちはどうやって乗り越えていくのか」

そもそもこういうテーマについて、話し合えるなんてすごく面白い!

インプロやmini playを経験した後のグループリフレクションで、学生たちからみんなで話し合いたい(振り返りたい)テーマを出してもらったところ、ひなこが本トピックを提案してくれた。

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いやいや、この視点が面白い。あまりにも面白いと思ったので、横で聞いているだけではウズウズするだけで気になって仕方がないので、私も参加させてもらった。

まのには、学生たちのダイアローグの様子をビデオにとるように言われていたのをすっかりわすれて・・・(笑)

improやmini playでは、多くの学生にとって「やったことがないことができた」「苦手だと思っていたことができた」という経験になったようである。私にとってもそうかもしれない。あの場では、「いつもと違う私」をパフォーマンスする。講義の授業で、靴を脱ぐなんてありえない。学生を口説く(好きになっちゃったという設定だったので^^)こともありえない。そもそも口説いた経験なんてない。なのに、それができてしまう、それはなんでだろうか。

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※ガヒョンさんを口説く私。なぜか足を組む方向がガヒョンさんに向く(笑)。

いくつかあるんだろうけど、私が特にこれ!って思ったのは、“inauthenticity”だと思う。非現実とでもいうのかな?この非現実では、「いいこと」「あっていること」「正しいこと」「そうであること」がない。つまり、いろんなことから解放された状態になる。こういう状態にある時私たちはいろんな自分を試すことができる。そう、「試すことができる」のである。逆に現実の社会では、「いいこと」「あっていること」「正しいこと」「そうであること」があるため、なかなか新しいことに挑戦することができない。

この非現実の中で、今迄経験したことがない「私」をパフォーマンスすることで、普段の私とは違う私をパフォーマンスすることで意外な自分を発見することになった。たとえば、ガヒョンさんを口説いた時、相手がすごく戸惑ったり、困ったりしていても、「口説く」ことが楽しくなってグイグイやってみた。こんな強引なことは普段は絶対やらない(でも、とっても仲がいい人には遊び心をもってやるかな)。それが終わった後、いろいろ考えた。そこで考えたことは「これまで考えたことがないこと」だった。まさにこれが自分にとっての新しい可能性の発見だったのだと思う。

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「苦手だと思うこと」についても同様だと思う。これは学生たちをみていて思ったことだけれど、れいなとか一部の学生は、たぶんこういった自己開示というか自己表現があまり得意でないと思う。むしろ苦手なほうだと思う。

でも、何か動くと誰かが反応してくれる安心感があるからか、全員が参加していた。そう、「何か動いてみると誰かが反応してくれる」という実感が「不安や苦手」の克服になっているのではないだろうか。私たちが身動きできなくなる時、たとえば、「こんなこといったら嫌われかも」「反応なかったらいやだな」とその先にあるかもしれない現実を想像して動けなくなる。でも、意外に未来は自分で変えることができることに気づく。動けば誰かが補完してくれる、動けば誰かが反応してくれるという実感。それは、自分は何に縛られて、何を不安に思っていたのだろうかという気づきにはならんだろうか。

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このインプロやmini playという非現実でいつもと違う自分をパフォーマンスできたみんなは、現実に戻った時、どうなるんだろうか。それが楽しみ。なつはたちのグループで話し合った事が気になる。

『振り返り』について考えた『振り返り』

こんにちは、モトキです。今日も長文おつきあいお願いします!

私たちのクラスでは、授業の後で『内省』が必須となっている。

私たちの授業は極めて白熱している。他の授業のように、スマートフォンから発せられた光を網膜に感じ取ることや、壮大なストーリーを掻き立てるようなレム睡眠を誘発させるような生徒はまず見られない。私が最近授業中に見た夢は…おっとそこから先は野暮というものだろう。

つまるところ、本授業中は極めて白熱しているのである。

読者諸君はお気づきだろうか。寝るのは授業中だけにして、目を見開いてもう一度よく読んでいただきたい。

授業中『は』白熱しているのである。

一旦教室から離れると、それぞれが自我を解放する。すなわち授業に起こったことは忘却の彼方へと追いやられてしまうのである。

光陰矢の如し、時間の経つのはあっという間だ。
夏休みもすぐさまやってくるだろう。
『君がいた夏は 遠い夢の中♪
空に消えてった 打ち上げ花火♪』

『僕がいた授業 遠い記憶の中♪
書くの忘れてた 反省課題♪』

青春の思い出の一ページとして、打ち上げ花火は大きな意味を持つ。
その一瞬で終わる儚さ、それを乗り越え、また若者は次へ進むのである。それ経てこそ、花火はノスタルジーではなく良き思い出と変わるのである。クリスマスにまで夏の思い出を引きずっているやつにロクなやつはいない。それを可能にするために、一時的に忘れ、その瞬間に傾倒することが人の頭の中で無意識に行われるだろう。
いつまでも消えていかず空に滞留している花火は若者のモラトリアムを助長するだけで何の価値も介在されない。

しかし、いちいち授業が終わるたびにその余韻に浸っていては、次の授業に遅刻するのでさっさとそれは乗り越えて欲しいのだが、その起こったことをすべて忘れてしまっては困るのである。

この授業のテーマは「My Development Project」であり、自分自信を成長のために何ができるのか?ということである。

一般的に成長の定義は諸説存在する。子供はほっておいても、身長が増加し、大人へと近づいていく。大人も、油断すると体長が増え、肥大化する。この栄養を体に取り組んだゆえの外見の変化は、一種の成長とも言えるだろう。
この授業における『成長』を担当教員の考えを参考に再定義を行った。
①経験(授業中になにか、新しい、刺激的なことを行った。他の人の意見を聞いた。)
②それを振り返る(具体的にあったことを分解する。)
③抽象化(そのこゝの出来事に意味づけを行う。)
④教訓(その見出した意味を自分の行動、思考に反映させる。)
それを踏まえて再び①経験フェーズに戻ることで、仮に同じ経験だとしても新たな気づきがあったり、これまで不可能だったことを経験できるようになる。ここではこの繰り返しによって起こる変化を『成長』と定義しよう。

それではなぜ学生はこの課題に関して消極的だったのか。
『結局学生がいい加減である。』と結論付け、その解決策として提出を怠った場合即ゲームオーバー(失単位)とすれば簡単である。幸か不幸か私は探究心の塊と言う性なので、向き合って行きたい。

一番に思いついたことは『振り返り』をすることの意味、目的がよく分からないということではないだろうか。
初回の授業から今に至るまで、その意味について言及されたことはなかった。確かに納得ができないことを、決まってるからやれと強制されることほど理不尽で、気が進まないことはない。

先ほどまで、書き連ねた『成長』の定義こそがその理由であるのだが、考え方の抽象度が高いために、それを自身に投影することができず状況は変わらないと思われる。これを身をもって実感してもらうことができれば一番である。

より具体的な方策に踏み込んでいきたい。

現在振り返りの方法として学内支援システムの授業毎の掲示板が採用されている。理由は保存スペースとして優秀であり、また生徒の個人情報のデータベースとの紐付けも行われているため担当教員が、数年後に『振り返る』ことを可能にしてくれるからだ。

しかし、現状を省みるとそれが機能していないのは明らかであり、何かしらの変化は必要である。

この議論を進めていく中で、振り返りのモデルとして成功しているメディア例としてフェイスブックが挙げられた。

フェイスブックは、学生と社会人(教授含む)が『友達』であることは稀有ではない。
このように多方面からの繋がりが存在し、珍奇な投稿は敬遠される傾向にある。つまり報告や、進退、生活環境のの変化、区切りなど大きな出来事が投稿の対象になりやすい。記憶に新しい例は、昨年(2015年)にパリのテロが発生した際に、普段テロやイスラムのような難しい話題を避けてきた人たちが突然コラムニストへと変貌し、持論を展開していた様は記憶に新しい。(他地域のテロに関しては全くと言っていいほど盛り上がらなかったのは不思議であるが。)逆に『腹減ったー』とか『暇〜』のような中身の伴わない発言は敬遠される傾向にある。(多くのユーザーにとってその機能を担うのはtwitterやインスタグラムであるとも言える。)

とどのつまり、フェイスブックの投稿には神経を使うのである。

そんなリスクを孕むフェイスブックを人々は何故利用するのだろうか。他媒体との差を生み出したのは、文章を世に送り出した先に存在する。

それは『いいね』と『コメント』といったフィードバックである。フェイスブックユーザーの読者諸君は良かれと思って投稿したにもかかわらず、あまり『いいね』を押してもらえなかった経験はおありだろうか。その投稿は他の読者にとっては『寒い』もしくは『つまらない』投稿でしかなかったのである。日本人はあまり他者に注意をしない傾向があり、大したことなくても『とりあえず褒めとけ』の精神が根強い(と思う)。しかし、直接対面しないからであろうか、日本人が『いいね』を押すかどうかの判定は極めてシビアである。

補足的に、私自身もかつての投稿を振り返ると、自分を揺るがすほどの大事件にはたくさんいいねが付き、大したことのない投稿だと、ほぼゼロであるから、しっかりと判定は行われているといえるだろう。

そんな状況だからこそ、自信のある考えがあるとき、人々はこぞってフェイスブックに自らの思いを連ねるのである。

投稿にあたり、当然『書く』という動作が伴われる。
『書く』と『話す』の1番の違いは、『他者性』にある。
話すの場合、相手が目の前にいるか、もしくは電話越しか、とにかく相手の発する言葉に対して何かしらのレスポンスを早急に求められる。もしあなたが友人に何か話しかけたとして、その都度15分間待たされていたら、その友人とはうまくやっていけるだろうか。『話す』に求められるのは運動神経に近い。

一方『書く』には、存分に時間が与えられる。(作家やライター、学生等には〆切が存在するが、『聞いてから5秒以内に書き始めろ。なお、後戻りは許されない。』というシチュエーションはまずないだろう。唯一思いつくものとして、入試等のテストであり、それは、短時間でまとめ、発信する『話す』に、近いと言えるだろう。

与えられた時間はそれは読み返すのにも使われる。つまり、もし話に整合性がなければ、自分の書いたことに対し気持ち悪さを覚え書き直すだろう。また単純なメモを除き、何かを書くとき場面では経験した事実の羅列で満足いく人はいない。『付け合わせの人参とポテトのないステーキなど言語道断理論』がここで適用される。その一つ一つの事実にスパイスである抽象的な考え(感想、反省)で彩る必要性がある。
例えば『友達とご飯を食べた!!』という事実があるとすると、例えば『もっと就活の話をすればよかった。』と『遠慮しないでステーキ頼めばよかった。』か、極端なことを言うと『楽しかった』のような、自らの考えを添えることで『ご飯を食べた』という事実が、意味を持ち、その意味が大きければ大きいほど自分にとって重要な出来事であったと言える。
他の例として、仮に卒業式をテーマに文章を書くとした場合、『大きなホールで偉い人の話を聞いた』という無味乾燥な事実が、その背景にある4年間の学生生活をベースに様々なことを考え、書き加えるために一大事となるのである。もし友人が卒業式について書いた何かを読む機会があれば、見て欲しい。卒業式の時に起こった何か(校歌を歌ったとか)を書いてる人など誰一人もいないと気づくだろう。

ここでいい加減な感想を付け加えては文章としては、ステーキの付け合わせにお刺身がきたのと同じぐらいナンセンスである。人は文章を書く時には無意識のうちに、たくさんあるうちの感想から、その事実に一番ふさわしいものを選別しそれを書くのである。

これが反省とは何のつながりがあるのだろうか?
起こった出来事に関してしっかりと文章に表すことは、その事実をしっかりと『振り返り』意味を与える作業に他ならない。
その意味の積み重ねこそが『教訓』であり、それを重ねることで成長を望めるのである。

話をフェイスブックに戻そう。これに関しては、『いいね』や『コメント』がその自分の蓄えた『教訓』に対する一種の評価基準となるため、もらえると嬉しいのであり、また一生懸命になるのである。ここで評価をもらえた『教訓』はより信頼できるものとして蓄えられていくことだろう。

フェイスブックの持つ三つの要素、1.誰でも(目上の人なども)読めるオープンな環境、2.その発信は自動的に行われタイムライン上に現れる。、3.他の人からのフィードバック(『いいね』や『コメント』)が『振り返り』の求める条件合致していたと言える。

しかし何もフェイスブックが、そもそも『書く』が自省のための最高のメディアというわけではない。
世の中には『書く』を苦手と感じ拷問とさえ感じる人も多数存在する。そういった人たちからすると早く書き終えてしまいたいのであり、十分な振り返りも行われないことだろう。

逆に考えると三つの要素を持ったらば『振り返えり』ができるとも考えられ、『書く』の代わりに動画やパワーポイントでまとめて、ツイッターやフェイスブックやブログに発信することや、youtubeに流してみたり、インスタグラムを使うことだって十分振り返りのためのメディアと機能する。

どうせやるなら『楽しく』。
『内省(=振り返り)』という小難しい言葉を実現しようとしていたのがそもそもの過ちで有った。自分の好きなメディアを通して、見聞きしたことに意味をつけていく作業を楽しんでいるうちに、自然とその中で質の高い『反省』が行われる。それを通していくことこそが、私たちのクラスの最終目標である『成長』への近道であると結論付けて筆を置きたい。

やったことがない、苦手だと思っていることを、私たちはどのようにして乗り越えていくのだろうか

こんにちは!第7回授業で「やったことがないことを、私たちはどうやって乗り越えていくのか」のグループでホストをしてました、森野日菜子です!

今回授業の振り返りを、ということで、日記形式で書いてみました!

I wrote about ” How to overcome some difficulties which we never faced or don’t like.” below.

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—————————————————– Sunday, June 5th—————

インプロやmini playと聞いて、それめっちゃ得意です!という人はあまりいないと思うし、私も最大苦手分野だと思っていた。そもそも何で苦手かといえば、恥ずかしいしどうなるかわからないし、安定の答えとかなさそうだし、、そもそも白けてしまったらどうしよう。などなど。

けれど、うじうじ考える暇もなく、実践科目の授業では「はい、やってー」といつの間にか舞台に立っている。

そんなこんなで、気がついたらインプロやmini playをやってきて、不思議と、最悪の思い出だ何てことはなくて、楽しかったなあ、何て思っている。

ふと、「何で乗り越えられたのか」が疑問になった。

 

新しくて、やったことがないものに対して、「今の」私はとてもワクワクする。何でかといったら、新しいってことは答えがないものだし、何をやっても次の糧になる。何もしなくて「変わらない」、何かをしたら「変わるかも」ならば、やってみようと思う。

でも、少し前の私は、「結果が約束されてないとやりません」と思っていた。それは、私がしたことに対して、失敗か成功かつくことが怖いし、失敗したら後戻りだと思っていたからかもしれない。

 

どうして今のように考えるようになったかというのは、授業でやったインプロやmini playとすごく関係している。

 

インプロやmini playはなんといっても「結果なんて誰にもわからない」もの。それに対して、メンバーみんなで支えあってアクションを起こしていく。最初は不安だったけれど、いざアクションを起こしてみると、どうにかなるものだった。本当に、「どうにかなったじゃん」と思う。これってすごく楽観的で現実的な考えじゃないと言われそうだけど、この感覚が大切なんじゃないかと思う。一歩を踏み出すのが怖くて怖くて仕方なくても、いざ一歩歩いてみてふと振り返ると「なんだ、とりあえず前に進んでるじゃん」ってわかる。そうすれば、次の一歩もそんなに怖くなくなる。そういうことではないだろうか。

一歩に正解不正解もない、それならば、この一歩に対して意味を創り出せるのは自分だけ。自分が進んでいると思ったのなら、それでいいんだと思う。そうやって、自分で成長を実感できたら、前に進むのが楽しくなって、どんどんチャレンジしたくなってくるんじゃないかと思う。

 

どうしたら一歩踏み出せるのか。それは、先ほどから出てくる、授業のメンバーがとても大切な存在で、どんな一歩でもフォローしてくれる安心感が、一歩を踏み出す勇気をくれる。Mini playでカップル役のおがピヨが、私の訳のわからん受け答えを、「月が、きれいだね」と言ってくれたことでどれだけ私が安心したか。そのあとのやり取りは、ぜひ忘れたいくらい大変なコントだった。

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そういう環境の中で、一歩踏み出して進んでいる実感を持つこと、その積み重ねが「やったことがない、苦手だと思っていることを乗り越える」時に、大きな助けになるのではないかと思う。一歩に自分で意味を創り出していくことができたら、周りの評価を気にした不安も、少なくなってくると思う。

そんなこんなで、いろいろと考えてきたが、何よりもこのテーマについて話し合えたことがとても嬉しかった。いろんな人の見方・角度で疑問をぶつけていくと、頭がごっちゃになるけれど、それはそれで楽しい時間だった。

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“ How to overcome difficulties which we’ve never faced or don’t like.”

 

I guess there are few people who love improvisation or mini play, and off course I don’t like to do such a thing. The reason is that I cannot see the result, and that makes me nervous. However, in the lesson, we had no time to think about results. We just had to take action!!!

After the class, I wondered why I felt that today’s improvisation was good experience. Why? I don’t like to do such a thing, do I?

So, I will look back to classes carefully, and think about “ how to overcome the difficulties which we’ve never faced or don’t like.”

 

No one knows the results in the improvisation or mini play, so we feel nervous. It is similar to the things in the real life. We tend to make an assumption that the results will be terrible, and no one will help me. But in the reality, when someone takes action, other people around her also make movement to try to support her. I realized this idea through many activities in our class.

When I did improvisation, I thought “ I worked out somehow!”. I know it’s kind of optimistic idea and not so realistic. But I think this feeling, “I worked out somehow. I could do it” are so important elements to overcome the difficulties. We have to realize that there is no answer for our action, we can create meanings for everything. If we could realize that thing, we would be head taller than we are.

 

Also, people around us are important part in overcoming difficulties. In our class, I made mini play with Ogapiyo, and her help made me relief. In such a situation, we can try anything we want, and it will be small but important step to be head taller that we are.

2016年度 第7回授業 「さらなるhead taller」になるには

こんにちは!初登場の小和瀬夏葉(通称なっぱ)です。
 
早いもので実践科目の授業も7回目。 ということで、今回は折り返し地点として、今までの授業の振り返りを行いました。
 
私たちの班のテーマは「授業で学んだことを、どのようにしたら普段の生活の中で活かすことが出来るのか」。インプロやミニプレイの中では、みんな”自分を表現することが出来た”という満足感で溢れているのに、環境が無くなってしまうとなかなか自分の意見を発信することが出来ない、という現状に疑問を感じこのようなトピックを立てました。
 
話し合いのスタートは「発言をためらうのってどんな時?」という問い。
 
みなさんはどんな時に自分の意見を言うことをためらいますか?
 
「合っているか合っていないか分からない」「他の人にどう思われるか不安」「良いことを言わないといけないのではないか」、様々な想いがあると思います。実際、班の中でもこのような意見が出ました。
 
それに対して「良いことと悪いことってどうやって決めるの?」「他の人にどう思われようが関係ないと思う」「とりあえず声に出してみたらなにか意見が出てくる」という答えも。
 
また、「意見を言わない」のではなくて、「発信しない時には、そもそも自分の意見がはっきりしてないのではないか」という意見も挙がりました。これを受けて、私たちの班で出たキーワードは「自分事」。これは我らが岸先生もよくおっしゃる言葉で、簡単に言えば「何事にも自分の意見を持つ。自分の立場をはっきりさせる。」ということ。
 
普段の生活の中で、例えば友達に「今日なに食べたい?」という質問を投げかけられたとします。その時に「なんでもいい」と言って、自分の立場や意見をしっかりと持たなければ、それ以上に話が進むことはありません。そんな時には、「カレーかパスタが食べたいな~」「チーズだけは嫌だ・・・」というように、どんな些細なことでもいいから自分の意見をはっきりさせること。このように、まずは全てを「自分事」として考えをきちんと持つことが大切だよね、という結論に辿り着きました。
 
また、「自分事」として意見を持ったならば、理由はいくらでも後付できる、という声も上がりました。直感的に「YES」「NO」や「これがいい!」「あれは嫌だ!」という想いを抱いたならば、「何故そう思うのか」をきちんと付け足していけば、きちんと自信を持って自分の言葉で発信することが出来るようになるのではないでしょうか。
 
今回の話合いを通して「全てに当事者意識を持って、自分事として考える」ことの大切さに改めて気付くことになりました。これからの授業での発言が、多方向から出てくるようになるのが楽しみです!
 

第7回 経験を振り返る

第7回「国際日本学実践科目」では、咲季と瑛子の提案で、第1回目から6回目までの授業の振り返りとしてダイアローグセッション(ワールドカフェ)を実施しました。
二人にファシリテーションのもと、第1回目から6回目までの活動について感じた様々な疑問や葛藤をトピックとして、対話を通して理解を深めることになりました。
毎回の活動についての振り返りをポートフォリオとして各自が記録しているので、それを他の人に見てもらいながらトピックを考える。そこででききた5つのトピックのうち2つのトピックのグループに参加して対話するというものでした。
私も学生たちとの対話に参加。とても興味深かったです。
私が参加したのは、次の2つ。
①元樹がたてたトピック:活動を通して経験したことを「深く」振り返るためにはどうしたらいいのか?そもそも何故振り返りが必要かという意識をみんな持っているのか?振り返るということはどういうことか?
②日菜子がたてたトピック:mini playやimproなどの活動を通して、私たちは「やったことがないこと」「やりかたをしらないこと」「苦手だと思っていたこと」「自分にはできないと思い込んでいたこと」を乗り越えていこうとした。なぜそれがあの活動では可能だったのか?
これに関連して、mini playやimproの活動を通して背伸びできた体験は、他の文脈(授業や日常生活)でどう生かされたのかという、夏葉がたてたトピックもすごく知りたい!
他にも、Mikiがたてたトピック「表現やコミュニケーションといったことが必要な活動が多い中、それが苦手だと思う人はそれをどう克服していけるのか」や舜がたてた「それぞれの個性が最大限に作用しあうよう環境とは?」でもどんな対話があったんだろう。気になります✨
それぞれトピックを立ててくれた人が詳しく対話の内容をまとめてくれる予定なのでそれを楽しみにしたいです。

 

2016年度第七回 ~ 「Be yourself」班

こんにちは!
第七回授業はダイアログセッションということで、今までの振り返りをしました。
そこで五人がリーダー(HOST)として各々がテーマを出して「このクラスをもっと良くするにはどうすれば良いか?」ということでグループワークをしました!

そして私はBe yourself班のHOST宇野です。
自分は何をこのクラスは良くするべきだと思っているかというと、「みんな、空気読みすぎじゃない?」ってことです。やっぱり天才とアホは紙一重ということで、色んな人から色んな意見が出た方がよりCreativeでよりUniqueなクラスになるんじゃないかと思っています。
そこで自分の班では「どうしたら一人一人が自分が思ったことを言える環境を作れるか」ということを話し合いました。

まず、この「自分が思ったことを言える環境」とは何かを考えたときに、どんな環境が人の目を気にせずに話せるのかということを考えたところ「親友と話すときは自分がありのままの姿になれるよね」ということにたどり着きました!

…でも週一の授業で全員と親友になるのは無理だろ。

ってことで、誰もが授業の中で親友と話すときと同じように自分が思っていることを空気を読む必要なく話せる環境というものを作ろうということになりました。

大学という最初は喋ったこともないし、どちらかというとしゃべろうとも思わないような人もいる授業で、この環境を作るというGOALに辿り着くには以下の3つのSTEPがあるなということになりました。

STEP1 : 相手を知る
まだ何も知らない人と話す。これは相当困難なことです。ここは日本なので新しいクラスメートにうかつにHi!って言っても「誰?」ってなるし…。
ではどうするか。
相手の名前を覚えて、グループワークの時にサッと名前を呼べば相手も好感を持つんじゃないかと。これは我らがK先生が実践されているテクニックだそうなんで皆さんも是非。

STEP2 : クラスのメンバー同士の良い関係を築く
「相手を尊敬する」これに尽きると思います。相手を尊敬して、人の意見を否定して入るのではなく自分とは違う考え方と思いながら自分の意見もぶつけていく。そうすることで誰が出来が良い悪いではなく、みんながお互いを尊重して、自分も自分でいやすくなると。そうするとそれぞれのUnicueでcreativeな意見や考え方が出る。

STEP3 : クラスを「Be yourself」な雰囲気にする
全員がお互いを尊重する雰囲気がある中でGOALにはあと何が必要か。
「全員が同じGOALを共有すること」です。
自分たちの GOALは何と言っても、「Development Projectのメンバー一人一人のCreativityで作り上げていくuniqueで全員が得るものが大きいクラスを作ること」です。そして、このクラスでの共通の認識さえあればチームとしてどんなキャラの人でも認め合ってうまくいくということです。

さて、今はSTEP2にいるこのクラスがあと2ヶ月でSTEP3を越えられるのか!?

みどころです。

2016年week6 第2回インプロ

こんにちはー!ケイヤです!

ブログなんて書いたことないんですけどー

トヨツケイヤの人生初ブログどうぞどうぞお読みください!!

今週はDENさんによるインプロ第二回でしたね。初回のポーズをとったりするゲームとかも楽しかったけど、今回も面白いゲームがたくさんありました!なんかワクワクさん見たいな格好した学芸大生もいましたね。

まずさいしょにやったのはソーセージゲーム! 二人ペアになってひとりは何を聞かれても「ソーセージ」しか答えちゃいけないって。「あなたの名前は?」「ソーセージ!」、「将来の夢は?」「ソーセージ?」、「一日三本?」「ソーセージ!」なんだそれ笑笑

次にやったのはいいよ、いやだゲーム! これもまたペアになって片方はずっと提案し続けます。もうかたっぽのひとは「いいよ」か「いやだ」をかわいく言うというゲーム!提案をするほうの人はかたわれの気持ちを考えていろいろ考えるから、お互いの絆がふかまったりしましたね。男同士のペアもゲームの終盤にはもうラブラブのカップルなんかになっちゃったりしてて、、、 素敵なゲームでした!

最後にやったのはティルトというゲーム! またまたペアで即興劇をやっていくのですが、それだけじゃないのがこのティルト!毎回劇の途中でまさに劇的な展開がおとずれるんですね。かたっぽの人が外の人に耳打ちされて、突然豹変するんですね。先生がペアを組んで見本としてこのゲームをやったのときの話。二人は公園のベンチで話してたんですけど先生が突然、相手の子の個人情報を聞き出そうとしたり、家に押しかけようとしたり、もう完全に新興宗教の人にしか見えなかったですね。どうやら急にペア相手のことを好きになっちゃったっていう設定だったみたいです、、、相手はドン引きでしたね笑

今回のインプロやってみて思ったのは、相手のことを考えんのってスゲーむずかしいなーっていうことでした。じぶんはこう思っているのに、相手は全く違うようにとっちゃったり、、、 勘違いって怖いですね。自分のことがホントは好きな人を宗教の怖い人だと思っちゃたりするんですもん笑   また、言い方って大事ですね。「いいよ」、「いやだ」も普段何気なく返答してるのが相手を傷つけてたり、「なんやねん」って思われてたりするかもなって思いました。気をつけよう。

DENさん今回もとっても勉強になりました。ありがとうございました。あと、学芸大の近松大幹くん,来てくれてありがとう!一緒にやったティルトめっちゃたのしかったです!!